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これから期待のサッカー選手!森重選手の歩み

サッカー日本代表の攻守のキーマンである森重真人選手。イケメンサッカー選手としても有名な彼ですが、いったいどのような人生を歩んできたのでしょうか。森重選手のサッカー人生について見ていきましょう。

これから期待のサッカー選手!森重選手の歩み

森重真人選手の誕生とは

森重真人選手は1987年に一家の次男として誕生します。幼少時代は兄と野球をしていて車のフロントガラスを割ったり、公民館のガラスをわったりと、かなりやんちゃな子供だったようです。また、ママさんバレーをやっていた母親についていって一緒にプレイしていたりと、スポーツ全般が好きな少年だったみたいですね。

サッカーを始めたのは小学生から

森重真人選手がサッカーと出会ったのは兄の通っていた小学校のサッカー少年団がきっかけでした。3年生からしか入団できなかったので、兄についていっては横でボールを蹴っていて、3年生になって正式に入団となりました。小学校低学年の頃はゴールキーパーをやっていて、学年が上がるにつれてポジションが前になり、最終的にフォワードが本職になりました。小学校を卒業するころには、地元関係者ではかなり知られた存在として認知されていたほど、非常に実力ある選手とされていました。

転校をキッカケに運命の出会い

兄の進学をキッカケに引っ越し、それにともなって転校した先で出会ったのが、これからサッカー人生の恩師となる広島高陽フットボールクラブの植村代表です。事前に森重選手を知っていた植村代表は、彼が自分のもとへ来たことに大いに驚きながらも、しっかり指導していくことを決意したそうです。当時少年だった森重選手も、「植村先生はすごく気さくな方。ギャグを交えながら教えてくれるので、練習がすごく楽しかった」と語っており、いかに植村代表が森重選手の少年期の成長を支えた存在であったかがわかりますね。

サンフレッチェ広島ジュニアユースに

それからサンフレッチェ広島のジュニアユースとして抜擢され、その展開力を買われてボランチにコンバートすることとなります。それが今の森重選手のスタイルを固めたターニングポイントとなりました。しかし、ユース昇格は逃し、昇格に漏れた経緯を今でも詳しく思い出せない程のショックを受けるも、高校からの方がプロ入りに近付けると前向きに考え、サンフレッチェにスカウトしてもらえるようにと前向きに練習に励みました。

地元の強豪高校に進学

そして森重選手は地元の強豪高校である広島皆実高校に入学します。それからも「絶対に負けたくない。活躍すればプロのスカウトに見てもらえるはず」という一心で練習に打ち込んだそうです。その努力が認められ、1年で既にレギュラーとして活躍し、3年の時点では将来を非常に有望視された選手として注目を集め、複数のクラブから声がかかっていたそうです。

いよいよ大分トリニータに入団

そして高校卒業後、広島からの声は掛からなかったものの、2006年に大分トリニータにスカウトを受け入団します。センターバックとして起用され、10月にはAFCユース選手権2006日本代表に選出されました。フィジカルや空中戦が非常に強く日本の準優勝に大きく貢献することとなります。2007年では入団1年にしてスターティングメンバーとして選出されており、最終節の対新潟戦ではプロ初ゴールをあげることとなります。

そののち2009年にFC東京へ

それからチームのJ2降格や、経営難のためにFC東京へ移籍することになりました。他にも川崎や浦和も受け入れ先として立候補しており、森重選手をめぐって激しい争奪戦がありました。そこから右センターバックやボランチに配されたりと、現在のユーティリティプレイヤーとしての像が確固たるものとなってきます。また、遊びでやっていたフリーキックが誰よりもうまかったことからキッカーに指名され直接フリーキックを決めるなど、非常にマルチな才能を示すことになります。

東アジアカップでの初優勝へ

2013年には、ランコ・ポポヴィッチ監督に指名され、FC東京の主将となった森重選手は、東アジアカップ2013の代表選手として選抜され、2009年1月依頼のA代表入りを果たします。そして中国戦で国際Aマッチ初出場を果たし、韓国戦では持ち味の空中戦やビルドアップで大いに活躍して日本初となる東アジアカップ出場に大きく貢献した選手として認知されるようになりました。

幼少期からの努力と才能

このように森重選手は幼少期から類まれなる才能を発揮し、努力でそれを磨いてきた選手であることがわかります。これからもどんどん活躍する選手でしょうから今後さらに注目ですね。

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