日程調整サービス『調整さん』が運営するあなたをもっとアクティブにするメディア

年間最優秀選手として全選手の憧れであるバロンドールを何度も受賞しており、サッカーの最高峰として名高いメッシ。そんなメッシの華々しいサッカー選手の軌跡を、生い立ちや試合での成績などを元にまとめました。

サッカー最高峰!リオネル・メッシのすごさ

幼少期からホルモン異常に悩まされたメッシ

1987年にアルゼンチンのロサリオに生まれたメッシ。彼のサッカープレイヤーとしてのキャリアは、5歳に当時父親がコーチを務めていたサッカークラブに入団したところから始まります。しかし、着々と実力をつけるメッシは10歳の頃、成長ホルモンの分泌に異常があることが発覚し、ここから先身長などの発達は薬の投与などの治療がないと難しいと診断されてしまいました。

メッシの人生の転機となったバルセロナ入団

当時彼には様々なクラブへの入団の打診があったものの、治療が必要であることがわかると複数のクラブが彼の獲得を諦めました。そんな彼のサッカー人生を決定付けたのが、13歳の時に受験し、今も在籍しているリーガ・エスパニョーラのトップチーム、FCバルセロナの入団試験です。当時の監督の目に止まったメッシは即座に入団が許可され、同時にホルモン投与などの治療費も全額負担することが約束されました。当時の彼の身長は143cm。その後治療を続けた結果彼の身長は170cmにまで成長しました。

バルセロナでのメッシの初ゴール

身長とともにテクニック面でも大きく成長を見せた彼のデビュー戦は2004年、17歳の時でした。そして彼の初ゴールは翌2005年、メッシが17歳10ヶ月7日の時のもので、当時クラブ最年少記録でした。ちなみにその後彼の記録を破ったのはボージャン・クルキックという選手なのですが、奇しくもそのシュートをアシストしたのがメッシ本人なのですから、なんとも奇妙な縁を感じます。

その後も続く輝かしいメッシの記録

その後彼は2006年ー2007年からスタメンに定着していくのですが、この時から得点ゴールが10点を下回ることはありませんでした。怪我に悩まされたシーズンがあったものの、勝負所での得点やハットトリック、そしてチームのリーグ優勝やチャンピオンズリーグ優勝などに多大な貢献をするようになり、ついに2009年に自身としては初の、またはアルゼンチン出身選手としては3人目のFIFA年間最優秀選手賞であるバロンドールを受賞しました。

メッシの持つ様々な「史上最多記録」

華々しいサッカーキャリアを持つメッシですが、彼の記録には様々な「史上最多」の文字が上がります。2010年〜2011年シーズンに行われたチャンピオンズリーグでは、ファンニステルローイと並ぶ史上最多の12得点を上げ、その他にもリーガ・エスパニョーラのリーグ中最多得点、リーグ中での史上最多連続得点、またチャンピオンズリーグの史上最多ハットトリック回数などの記録を持ち、そして2015年に、史上最多の自身5度目のバロンドールを受賞しました。

メッシのすごさ①速さ

メッシのすごさを上げるとしたらまず思い浮かぶのが、そのスピードです。ゴール前への飛び出しやドリブルスピード、判断力などなど、あらゆるプレー中の動きがスピーディなため、それに相手ディフェンダーがまるでついていけない場面が数多くあります。そしてそうした速さに対応した体幹や体の強さも持っていて、自分より体格が大きい選手がほとんどのリーガ・エスパニョーラの中でもボールを奪われないのが強みです。

メッシのすごさ②ボールコントロール

そしてもう1つメッシのすごさを挙げるのならば、そのボールコントロールとキープ力のすごさがあるでしょう。各種トラップやトリックでも、まるでボールが足に吸い付いたような動きを見せディフェンスがボールを奪える機会がほとんどありません。持ち前のスピードでもそのキープ力は健在で、その正確な動きはまるでゲームのようだと周りに言わせるほど。

サッカー以外でも活躍するメッシの活動

また彼は、自身がハンデを克服してサッカープレイヤーとなった経験を通じて、「レオ・メッシ財団」という団体を2007年に立ち上げました。難病で苦しむ人々を救済する目的で設立されたこの団体を通じて、イベント開催や病院・施設への訪問などの活動も行っています。

メッシの魅力はサッカーの実力と人生にある

全世界のサッカー選手や子供達の憧れの存在となったメッシ。そんな彼の魅力はサッカーの輝かしい成績だけでなく、その苦難の人生にも隠されていました。

この記事を読んだ方はこんな記事も読んでいます