毎年12月に開催される、クラブの世界No.1を決めるFIFAクラブワールドカップ。6大陸の選手権王者が集うこの大会が、今年と来年は日本を舞台に開催されます。今回は、そのFIFAクラブワールドカップの歴史についてまとめていきます。
今年で55年 歴史ある大会
FIFAクラブワールドカップが始まったのは1960年。圧倒的な強さを見せていた南米王者とヨーロッパ王者が対戦する「インターコンチネンタルカップ」として開始されました。歴史としては、今年で55年になる、歴史のある大会です。1979年まではホームアンドアウェー方式で行われてきましたが、移動面での負担の大きさ、南米のファンの暴力行為などは、ヨーロッパ勢にとって悩みの種でした。その結果ヨーロッパ勢の出場辞退が相次ぐという問題が発生しました。
トヨタカップへの名称変更、プラティニやジーコの登場
大会を安全に継続するための策として、1980年からは中立地での開催となり、その会場となったのが日本でした。同時にメインスポンサーとしてトヨタ自動車がつくこととなり、日本での注目度も高まっていきました。1981年の第2回大会では、フラメンゴ(ブラジル)の一員としてジーコが来日。のちにJリーグでも活躍し、日本代表監督も務めたジーコはこの大会で2アシストを記録、MVPに輝きました。1985年の第6回大会は、ユベントス(イタリア)の一員として”将軍”ミシェル・プラティニが来日。この試合で華麗なボレーシュートを決めながら、オフサイドで無効となった場面での寝そべった姿は語り草となっています。
他地域の台頭、FIFAクラブワールドカップの誕生
その後も南米対ヨーロッパの構図で進められてきた大会でしたが、時代とともにアジア、アフリカ勢などが実力をつけ始めたことで、全大陸でのNo.1を決める大会としてFIFAクラブ世界選手権を創設、2000年に第1回大会が開催されましたが成功とはならず、第2回はスポンサー会社の倒産で開催見送り。4年間の中断を経たのち、トヨタカップと統合する形でFIFAクラブワールドカップが創設、2005年から現在の形式で開催されています。
まとめ
今年は現行の開催方式となってから10年になりますが、最近は日程、興行面などの問題が顕わになって、大会の存在意義が問われているとも言われています。FIFAは今後、どのような対策を取るのかが注目されます。