タレントとして数々のバラエティー番組に出演している大きな男の人。篠原信一という方をご存知でしょうか?今でこそバラエティー番組で活躍していますが、昔は柔道選手として世界選手権やオリンピック出場等、日本を代表する有名な選手でした。では、どれほど強かったのでしょうか。
学生時代
篠原は柔道を始めたのが中学生の頃。体格が良かった(現在190cm)という事で柔道を始めたそうです。当初は柔道に深く興味を抱いていたわけではなく、部活をサボったり毎日辞める事ばかり考えていたそうです。成績も中学3年生の時に神戸市の大会で3位とそこまで活躍をしていませんでした。
本人は中学を卒業後、高校に進学をする気はなかったのですが、育英高校の監督に誘われ高校へ進学。高校で活躍するかとおもいきや、高校でも成績は奮いませんでした。高校3年生の時にインターハイの決勝トーナメント2回戦までしか進んでいません。この時も高校を卒業したら就職しようと考えていたが、監督の勧めもあり、天理大学へと進学。
ここで篠原の柔道人生が変わります。指導者に元無差別級の世界チャンピオンだった人がおり、そこから才能が開花していきます。大学1年生の時に新人体重別95㎏で5位になり、強化選手へ。大学3年生にもなると全日本選手権で優勝する活躍を見せています。これがきっかけで篠原は世界を意識していくわけです。
社会人時代
篠原は大学を卒業後、旭化成の所属になります。全日本選手権や世界選手権で優勝したりと素晴らしい戦績を残しています。そして、2000年金メダルを獲れると言われていたシドニーオリンピックで事件が起こります。
決勝の相手はフランスのドゥイエ。内股を仕掛けてきた相手に内股すかしで返したのですが、主審はこれをドゥイエの有効と判定。副審は篠原の1本と判定したが、もう1人の副審が主審を支持した為、ドゥイエに有効が与えられる。そのまま試合の継続を許してしまった為に結果判定負けをして銀メダルになってしまったのです。
当時は世紀の大誤審として主審への批判が相次いだが、篠原は「審判もドゥイエも悪くない。ただ自分が弱かっただけ」と相手や主審を責める事なく潔く引き下がりました。その後現役を引退し日本代表の監督としても活躍されていました。
まとめ
世紀の大誤審として世界から注目を集めましたが、自分の弱さが原因だと相手や主審のせいにしなかった。この気持ちが柔道だけでなく篠原の強さなんだと思います。