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お正月が近付いて来ると思わず歌いたくなるお正月の歌。そろそろ子供も大人もこの曲の歌詞を頭に思い浮かべる時期になってきました。今回は、お正月の歌の歌詞の意味と、作者についても調べてみました。

『お正月』の歌詞の意味とは?

『お正月』1番の歌詞の意味

お正月の歌は、子供たちがお正月を待ちわびる歌です。1番の歌詞には、凧とこまが登場して、男の子の歌詞となっています。昔の男の子たちには、お正月にする凧揚げとこま遊びが一番の楽しみだったようです。お正月にはする凧揚げには、一年の幸福を祈願する意味や、願掛けの意味もあったそうです。他にも、男の子が産まれた家は凧揚げをする風習があったことから、男の子はお正月になると凧揚げをするようになったという説もあります。

『お正月』2番の歌詞の意味

2番の歌詞には、まりとおいばねが出てきます。これは、昔の女の子の遊びだったので、2番の歌詞は女の子の歌詞になっています。おいばねとは羽子板遊びのことで、ふたり以上で羽根(羽子)を突き合うものです。女の子は新年になると、色んな絵が描かれた羽子板でおいばね遊びをしたようです。

『お正月』の歌はどうやって作られた?

この曲の作詞は東クメ、作曲は滝廉太郎です。この曲は、もともと滝廉太郎がつくった『幼稚園唱歌』という20曲の中の1曲で、最も人気になったものでした。『幼稚園唱歌』は、子供たちが周囲のものや季節の移り変わりに関心をもつようにと、四季の順に唱歌を並べたものです。お正月は、元日を待ちわびてその年の暮れに歌う曲なので『幼稚園唱歌』の最後から2番目に収録されていたようです。

作詞者、東クメについて

東クメは童謡作詞家で、滝廉太郎とも多くの楽曲を作成しています。日本で初めて口語体による作詞をした人物としても知られています。1896年に東京音楽学校を卒業してからは、音楽教諭として働いていました。子供の言葉で、子供が喜ぶ童謡を作ろうと夫のすすめで作詞を始めたのが1899年のことです。その後、学校の2年後輩だった滝廉太郎とたくさんの童謡をつくり、1969年3月5日に亡くなりました。

作曲者、滝廉太郎について

作曲家としてとても有名な滝廉太郎。現代まで歌い継がれる多くの童謡を作曲してきました。1890年に15歳で東京音楽学校に入学し、本科卒業後は、現在でいう大学院にあたる研究科に進みました。ピアノと作曲の才能を発揮していった滝は、東クメらとたくさんの童謡を残すと共に、「荒城の月」や「箱根八里」など、日本の情景を美しく歌い上げた楽曲を多く生み出していき、1903年に亡くなりました。

『お正月』を歌いたくなる時期

そろそろ、家族みんなで『お正月』を歌いたくなる時期になってきました。この歌には、お正月を楽しみにする無邪気な子供たちと、それを見守る家族の姿が込められています。一年のはじめ、家族団らんを楽しめる短い時間に、たくさんコミュニケーションをとって、家族仲の良い一年にしたいですね。

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