なかなか結果を出せない日本代表の歴史を振り返ることで、今後の課題などが見えてくるかもしれません。
日本サッカーの曙
日本サッカーの曙は、明治時代初期に返ることができます。1873年、イギリスの軍人が来日し、日本の軍人たちに教えたことが始まりとされています。その後、徐々に中学や高校などでサッカーが広まり、クラブチームも誕生するようになりました。日本代表も結成され、今日のアジアカップに近い極東選手権大会などで優勝することもありました。しかし、草創期で特筆すべきことは、1936年のベルリンオリンピックです。ベスト8まで進出し、当時の強豪国であったスウェーデンをグループリーグで破ったことは、ベルリンの奇跡と呼ばれています。以後、第二次大戦が勃発すると、FIFAから脱退し、日本代表が国際舞台から姿を消すことになりました。
絶頂期があった
第二次大戦が終結し、5年後の1950年に再びFIFAに加盟することになりました。ワールドカップやオリンピック予選などの国際大会に出場し、オリンピックの本戦出場を果たしたこともありましたが、メダルには到底及びませんでした。けれども、東京オリンピックが開催されることから日本代表の強化がなされ、本戦ではベスト8まで進出しました。そうして、4年後の1968年のメキシコオリンピック大会で、見事銅メダルを獲得しました。この勢いでプロ化も検討されていましたが、企業スポーツから抜け出せすことができませんでした。この時期でワールドカップ出場が最も近づいたのが、1986年のメキシコ大会アジア予選であり、最終予選まで行きながらも、韓国に敗れてしまい、初出場を逃しました。
待望のプロ化以後
メキシコオリンピックの銅メダルから約四半世紀後、待望のプロリーグが誕生しました。Jリーグと名付けられ、勢いに乗って、1994年のワールドカップアメリカ大会アジア予選で勝ち抜くことが期待されました。勝てば本戦出場が決まっていましたが、後半ロスタイムにイラクにシュートを決められ、初出場を逃しました。ドーハの悲劇と呼ばれ、現在でも語り継がれています。しかし、4年後も1998年に待望の初出場が決まりました。以後、日韓共催大会を挟み、5大会連続で、ワールドカップに出場しています。最近では、2014年のブラジル大会がありましたが、グループリーグ敗退となりました。最高の成績は、2002年日韓大会、あるいは、2010年の南アフリカ大会でのベスト16です。
まとめ
以上、日本代表の歴史を振り返ってきました。お分かりになるでしょうが、これまでの最高成績は、1968年のメキシコオリンピックで獲得した銅メダルです。約半世紀前の出来事が、現在でも最高成績であるということは、それだけ問題が大きいかもしれません。1968年当時よりも、サッカーの環境には恵まれているでしょう。当然、選手の技術も上がり、しかも、海外の強豪リーグで活躍している日本人選手も出て来ています。それでも、日本代表の成績がワールドカップなどの国際大会で振るわないのは、もっと違った原因があるかもしれません。単純な比較はできませんが、2011年にワールドカップで優勝し、その後、ロンドンオリンピック、ワールドカップカナダ大会と続けて決勝進出を果たしている、日本女子代表こと、なでしこジャパンに学ぶべき点があるかもしれません。