マラソンの歴史は長く今まで多くの選手が42.195キロを走り抜いてきました。その中でもマラソン史に残る名選手たちを紹介します。昔、最初から最後まで全力で走ったザトペックという選手がいましたね。
元・女子マラソンランナー高橋尚子
高校時代、全国インターハイに出場するも予選敗退で終わるなど、あまりいい成績を残してはいませんでした。大学に進学して数々のタイトルを制覇し、学生トップクラスの選手に。社会人になって初のフルマラソンに挑むも、7位の結果に終わります。1998年の名古屋国際マラソンで日本最高記録を出して優勝。2000年のシドニーオリンピックでも、オリンピック最高記録で優勝を果たしました。
人間機関車の異名をもつ男
エミール・ザトペックの競技人生のスタートは意外なものです。働いていた工場の実業団のコーチから試合に出るよう言い渡され、断るも本番では100m走で2位をとったことから始まりました。その後、地元のクラブに所属し、ロンドンオリンピックの10000m、ヘルシンキオリンピックの5000m・10000m・マラソンで金メダルを獲得した。この長距離三冠は、今後達成する選手は現れないだろうとされています。
最遅記録達成者は日本人
なんと、マラソンの最遅記録は「54年8ヵ月6日5時間32分20秒3」です。これは1912年ストックホルムオリンピックで日本の金栗四三という人が記録しています。レース途中に熱中症で昏睡状態に陥り、棄権の申告をせずに帰国。この件を把握していなかったためにそのまま大会は終了。ストックホルム市がオリンピック55周年を記念する式典を開催するにあたって記録を調査し、判明し、改めて完走か棄権をするよう要請したそうです。