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大阪府や首都圏を中心に展開している、サッカーショップKAMO。そのKAMOの社長加茂建氏の兄は、元日本代表監督の加茂周氏なのです。その加茂周氏は、一体どのような人物なのか、まとめていきます。

現役時代

大阪府豊中市に生まれた加茂氏。兄の豊氏は、ゴールキーパーとして1958年のアジア大会に選出されるほどの選手でしたが、本人のサッカーキャリアは、高校時代からで、それまでのサッカー経験は全くなかったのです。その後進んだ関西学院大学でも入部は2年次から、4年次まで控えとしてプレーし、卒業後は部の先輩である安達貞至氏に誘われ、ヤンマーディーゼルサッカー部(現在のセレッソ大阪)へ。3年間プレーしたのち、指導者への道を歩むことになります。

日本初のプロ契約監督に

3年の現役生活を終えた加茂氏は、古巣ヤンマのコーチに転身。2度の天皇杯制覇を経験したのち、1974年に日産自動車サッカー部(現在の横浜F・マリノス)監督に、国内初のプロ契約監督として就任。木村和司、金田喜稔、水沼貴史などのトップ選手を擁し、日本サッカーを代表する常勝クラブにのし上げました。1988-89シーズンにリーグ、JSLカップ(現在のヤマザキナビスコカップ)、天皇杯の三冠を達成すると、そのシーズン限りで監督を退き、顧問に転身しました。
1991年からは、全日本サッカークラブ(のちの横浜フリューゲルス)に移籍。1994年には自身6度目の天皇杯制覇を果たしました。

日本代表監督就任、しかし……

その中で1994年12月、11ヶ月の短期契約日本代表監督就任が決まります。前監督時代に呼ばれなかったベテランを再招集しつつ、徐々に若手への切り替えを行いました。そして1995年11月で契約満了、となるはずが日本サッカー協会の判断で続投が決定。その後1996年アジアカップのクウェート戦での敗戦から、協会内での不信感が広まり、翌年のワールドカップ予選韓国、カザフスタン戦での結果を受け、監督を更迭されることに。ワールドカップ予選途中での監督更迭は、日本代表の歴史上初めてのことでした。

ゾーンプレス

加茂氏といえば、「ゾーンプレス」の概念を導入した監督としても知られています。この戦術を適用し始めたのは、全日本サッカークラブ時代で、ここでコーチを務めていたズデンコ・ベルデニックが概念を持ち込み、加茂氏とともに戦術を練り上げていきました。

まとめ

日本代表では途中更迭と残念な結果になりましたが、当時の最先端であり、現代にも適用される「ゾーンプレス」を日本に導入した功績は大きなものです。そのようなことも振り返りながら、これからの日本代表戦を見てみるのも良いでしょう。

 

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